道場の参加者募集に当たり、毎回、予めテーマが示される。
開催の1週間前には師範が集まって、打ち合わせもある。
だから当然、事前に当日どんなことを喋りたいか、考える。切通さんが仰っているように、これだけは言っておきたい、ってことも胸の中に潜ませている。
ところが正直に白状すると、性格がいい加減なのか、控え目なのか、最後まで肝心なことを言わずじまいだった時も、少なくない。
大きな反省材料だ(切通さんを見習わなくては)。
その一方、自分でも事前には思いもしなかったようなセリフが飛び出したり。
他の師範の発言や道場生の質問などに触発されるのだ。
思いつきと言われると、その通りかもしれない。
しかし不思議なことに、喋った後、自分で「確かにその通りだよな」と、自分の意見に心の中で頷いていることも。
こんな経験は珍しい。
敵対的な論争では、相手を論破するのが至上目的だから、他人の主張に耳を傾けて、素直に自分の意見を変更するなんて、通常あり得ない。
似たような立場の「仲間」内の議論は、お約束通り話が進んで、何の波乱もないから、自分で予定も予測もしなかったような発言をする場面など、まずない。
道場は、そのどちらとも違う。
互いに信頼感がありつつ、意見が全て一致している訳ではない。
だから、私のような唐変木でも、謙虚に人の意見に学びつつ、自分の考えを鍛えることができる。
しかも、論壇的な決まり文句を振り回す者は、師範の中にはいない(例えば、原発の段階的縮小と核武装推進を「あわせ技」で同時平行的に取り組むべしといった一見、アクロバティックな方向性は、論壇内では余り語られないだろう)。
妙な自主規制やタブーも、勿論なし。
だから、自分でも「想定外」の発言を含め、伸びやかな議論が出来る。
これも、道場が面白い、もう一つの理由だろう。